こんにちは、Daikです。
海外を旅しながら仕事をしたい。そう思ったことはありますか?
僕は現在ノマドとして、居場所を固定しない働き方をしています。
そして海外で活躍したいフリーランスやノマドワーカーの人たちの力になるためにコンサルティングのおシゴトもさせていただいています。
具体的にどのようなシゴトをしているのかというと、
- ブログ・メディア運営
- メルマガの発行
- WEBライターとしてメディアに寄稿
- 個人向けブログコンサルティング
というようなことを主にやっています。
もう少し詳しい解説はこちらでしているので、よかったら覧くださいね。
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僕が今のような働き方を目指すきっかけとなったのはオーストラリアのメルボルン。2014年11月から2015年の8月まで学生ビザを使って留学したことがきっかけで僕の人生が変わりました。
今日はこの記事を通して僕が現地で体験したこと、そしてその経験を「その後の人生にどう役立てていったのか?」と言うことをお話ししていきたいと思います。
自分にはない常識や哲学を持った人たちと出会えた時の面白さ、異文化に触れた時の喜びを、もっと多くの人に感じて欲しい!
そんな想いを込めてこの記事を書いていきたいと思いますので、
どうぞ、最後までお楽しみください。
夢があっても「行動しない」イタリアンシェフ時代
まず最初僕の簡単な自己紹介をすると、僕はもともとイタリアンレストランでシェフとして働いていました。(詳しいプロフィールはこちら)
色々な葛藤なありながらも大学2年の頃から働いてたレストランで卒業後も働き続ることを決めたので、留学を決めるまで約5年近く料理に携わってきました。
イタリアンレストランのシェフというと、どこかオシャレなイメージがあるかもしれません。
でも実際には灼熱の厨房で汗だくになりながら仕事をしているので、そこにはおしゃれなイメージなんて皆無です。笑
料理が好きで入った世界でしたが、それはかなり過酷な労働環境でした。
長時間労働は当たり前。常に人手不足でなため、サービス残業も当たり前。正直パワハラっぽいことも普通にあります。
ここで話すことではないですが、精神状態がおかしくなりそうな時があって仕事の夢を見て毎晩うなされているような状態が続いていたこともありました。
飲食業界の給料は平均以下、ボーナスも無かったので経済的にも将来の不安は拭えませんでしたね。
ただ料理は好きだったので仕事が嫌いなわけではなかった。
人間的にも大きく成長させてもらえたし、一緒に仲間とお店を作る楽しさはとてもやりがいを感じていました。
じゃあなぜ仕事を辞めてまでオーストラリアに留学を決意したのかというと、
シンプルに「もっと広い世界をみながら仕事をしたかった」から。
現在世界には196の国がありますが日本はそのうちの1国でしかない。
ずっと日本で働き続ることになれば、
- 世界の街並み
- 日本とは異なる美しい文化
- 現地に暮らす人たち
- 世界で起きている問題や実情
何一つ知ることなく一生を終えることになります。
そんな人生は絶対に絶対に嫌でした。
だからこの先、一生この厨房で料理を作り続ける未来を想像すると、ゾクっとして寒気が止まらなくなることもあったくらいです。
「もっと広い世界をみながら仕事をしたい」
学生時代から出張で海外を飛び回ったり、海外勤務などに憧れを持っていたので、いつかは海外に出れるような働き方をしたいと思っていました。
しかしそのチャンスをつかむことなくダラダラと働き続けてしまった。
レストランで働き始めてから5年が過ぎた時に、僕が今まで溜めてきた想いが爆発したんです。
このまま今の仕事をし続けていたら、絶対に、100%その未来は訪れない。
それなら自分から行動を起こしするしかない!待っていてもただ時間が過ぎていくだけだ!
そう思い立って、オーストラリアに留学することを決意しました。
全ての常識を変えたメルボルン
僕が留学先に選んだのはオーストラリアのメルボルンという都市でした。
カフェの街と言われるほどオシャレなカフェが多く、世界中のカフェ文化を牽引している街。コーヒー片手にヨーロピアンな街並みを歩くのがとても楽しい街です。
朝は仕事前の一杯を求める人たちで人気のカフェは大賑わい。お店の外まで行列が続いていることもあるんですよ。
こちらは僕が大好きだったカフェ。【Brother-baba-budan(ブラザーババブダン)】
メルボルンでは一番と言ってもいいくらい有名なカフェで、連日多くの人で賑わってます。
このカフェ実は家のすぐ近くにあったので、休日の朝はのんびりここでコーヒーを頂くのが僕のちょっとした贅沢になっていました。
南半球最大の市場と言われているビクトリアマーケットには新鮮な魚介からオーガニックな野菜、ハムやチーズなどの加工食品などなんでも揃っていて、歩いているだけでワクワクするマーケットです。
さらにメルボルンは食文化だけではなくて、緑が多い街としても知られ「ガーデンシティ」とも呼ばれています。
休日は家族や友人たちと公園に行ってバーベキューをしたり、芝生の上でゴロゴロしながらのんびりと過ごす。
それがメルボニアンたちの至福のひとときなのです。
そんな都会のオアシス、メルボルンで僕は10ヶ月間暮らしていました。
ちなみにメルボルンを選んだ理由は、
- シドニーに比べて日本人が少ないが、大都市で生活しやすい
- ビーチリゾートのイメージがないため勉強を目的とした学生が多い
- カフェが有名で食文化が発達している
- ヨーロピアンな街並みが美しい
- アート活動が活発で自分の趣味に合っていた
ピンときた方、メルボルンへGO!
かけがえのない友人に出会い、貴重な体験をさせてもらえたホームステイ。
メルボルンに着いて最初の1ヶ月間はホームステイをして過ごしました。
真っ白な壁が眩しい一軒家。
台湾人のお母さんと、中国系オーストラリア人のお父さん、そして中学生のジョンと小学生のジョセフの4人家族。
さらに、僕と同じくホームステイをしていたビールが大好きな韓国人と、ちょっとガリ勉っぽいルックスがかわいい中国人学生を加えた6人で過ごしていました。
中でもジョセフは超アクティブで、「必ず外で遊ぼうよ〜!」って言ってきます。(めっちゃかわいいんです!)だからディナーの後は決まって近くの公園でバスケットをしたり、筋トレごっこをしたり、4人でよく遊んでいました。
少し前まで日本の喧騒の中にいたのに、こうやって海外に来て自分とは違う人種、文化を持ってる人たちと触れ合っていることが全然信じられなかったし、
「自分の意思で動き出せば世界はこうも簡単に変わるんだ」そんな勇気と自信を感じていました。
新しい価値観や考え方をくれた学校とクラスメイト達との出会い。
語学学校では英語を学ぶことはもちろん、様々な国の人たちのコミュニケーションをとったり、オーストラリア式の授業を体験できたことがとても刺激的でした。
僕がビックリしたことは授業のスタイルが日本とは全然違うということ。
先生のことを「ティーチャー」ではなくて名前で呼ぶことにも驚きましたが(サラとか)、まずみんガンガン質問します。
日本だと先生が「質問ある人いますか?」という一言があってから質問するというのが通常の流れかと思いますが、みんな何かあればすぐに質問するんですよね。(授業の流れをストップしてしまうかも…という遠慮はありません。)
そして一人の人が分からないことをクラス全員でシェアをするような形で授業が進んで行きます。
「実は自分もイマイチわかっていなかったんだけど、代わりに違う人が質問してくれた…」なんていうこともあるので、理解が深まる授業でした。
もう一つは語学学校の特性なのかもしれませんが、インタラクティブな授業が多いということ。
日本の学校というのは先生の話を聞いてノートを取るのような一方的な授業が多いですが、こちらでは隣の人と会話をしたり、カードを使って体感的に学ぶことが多いです。
そして上のコースに行くとディスカッションやプレゼンも多くなるんですよ。
日本の教育ではあまり取り入れられていないですが、これからの時代プレゼンとか、人前で話す機会ってどんどん増えてるので、とても大事な授業だなと思ってました。
✔︎英語力について
「語学学校で英語力は上がるのか?」という質問ですが、結論から言って普通に上がります。
僕の感覚ですが、バンバン上がります。
僕は6ヶ月間学校に通っていましたが、pre-intermidiate(初中級)コースから始まり、最終的にはupper-intermidiate(上級)コースまでレベルを上げることができました。
つまり2段階クラスが上がったことになります。
- pre-intermediate(初中級)→1ヶ月
- intermediate(中級)→3ヶ月
- upper-intermediate(上級)→2ヶ月
それぞれ一段階上のクラスに上がるまでにかかった期間はこんな感じです。
- 授業にちゃんと出る
- 宿題をやる
- 日本人ばかりと遊ばない
- 自分でも勉強する習慣をつける
こういうことが普通にできていれば英語力は上がるというのが僕の意見ですね。
ただ渡航前からある程度英語が話せれば現地での上達速度も格段に上がるので、できる限り日本で英語力をあげておきましょう!
異文化の面白さを教えてくれた、イスラム教を信仰している友人たちとの出会い。
台湾、韓国、ブラジル、ペルー、ベルギー、チュニジア、
語学学校では様々な国の人たちと関わりを持つことができました。
挨拶の仕方やコミュニケーションの取り方の違いなど、どんな些細なことでもその「違い」を発見するたびに「異文化って面白いな〜」って思っていたのですが、
その中でも一番衝撃を受け、感銘を受けたのはイスラム教を信仰するムスリムの友人たちとの出会いです。
「怖い、危ない、テロ?」
恥ずかしながら僕は、イスラムに対してそんなイメージを持っていたのですが、実際は全く違いました。
そこには僕らと同じように人生を楽しんでいる人たちがいて、「人に貢献すること」をとても大切にしている人たちだと知りました。
ある日カフェで話していた時に、
「今からお祈りの時間だから見てなよ」
そう言うとトイレに行って手や顔を洗って、靴を脱いで足まで洗って、お祈りの準備を始めました。
準備を整えるとお祈りに適切な場所を探し、静かに腰を下ろします。
そしていざお祈りが始まると空気が一変しました。その真剣な眼差し、彼を包むなんとも言い難い神聖な空気感。
その光景を見たとき、と鳥肌がたちました。
「こんな世界が本当にあるんだ…」
ムスリムの人は飲酒や豚肉を口にすることが禁止されていたり、1日5回お祈りをしていることは「知識」としては知っていました。
でも「知っている」のと実際に関わりを持って体験することでは全く意味が違うんですよね。
それからというもの僕はイスラムの世界に魅了され、留学時代の友達はもちろんアプリで知り合ったムスリムの友達と毎日のようにコンタクトを取ってイスラムの知識を深めていきました。
こちらはそんな経験から書き上げたラマダンについての記事。意外とnoteでの反響が多きくてびっくりしました。
自分の知らない文化を知って、視野が広がったのも留学をしていたおかげ。
そして、
知らない文化を経験することで「自分には無い価値観や考え方を受け入れる力」がつきました。
人ってそれぞれの考え方があって、みんな違うんです。
オーストラリアのように多民族国家であれば肌の色や見た目が違うので「あ、この人は自分とは考え方が違うんだ」とすぐにわかります。
ただそれって、日本人同士でも同じですよね。
千差万別、十人十色。
たまたま僕らの周りには肌の色も、顔の作りも似ている「日本人」が圧倒的に多いです。
だからみんな自分と同じように考え、同じような価値観を持っていると錯覚しがちです。
でもそれって大きな勘違いなんですよね。
そのことに気がついたとき、
「人の考えを受け入れる、自分にはない価値観をを受け入れる」
改めて自分の考えや常識にないことを受けれる大切さを知りました。
アクティビティに積極的に参加してとにかく人と繋がろう!
ちなみに学校ではアクティビティも豊富にあって、登山やドライブツアーなど自然を楽しむアクティビティも豊富です。
個人でツアーに申し込むこともできるのですが、学校で申し込むと安いし友達と行けるのでオススメです。
普段話す機会がないクラスメイトとも話すチャンスなので、こういうアクティビティには積極的に参加するといいですね。
こちらは僕が大好きだったボートパーティーの様子。ボートを貸し切って2時間ちょっと、夜の海をクルージングします。
船内にはDJスペースとスモークとライトが眩しいダンスフロア。一階にはバーカウンターがあるのでお酒がいつでも飲めます。
喋って、飲んで、踊って。
思いのままに楽しい夜を過ごすことができます。
他にもド定番ですが、学校が終わった後のバーベキュー。
みんなで買い物に行って、BBQしながらワイワイするのはやっぱり楽しいですね!
自由な働き方を実現している人たちに出会って「仕事」の常識が変わった。
さて、ここからは僕が「ノマド」と言う働き方にたどり着いたキッカケや経緯についてお話ししていきますね。
学校にも慣れて、徐々に人脈のネットワークができてくると、僕はあることに気がつきました。
それは、自由な働き方をしている人が多いということです。
職場で出会った日本人の友人はDJをしながら、好きな時に海外へ行けるような働き方を実現していましたし、
同じクラスだったサウジアラビア人は石油採掘の仕事をしていて、仕事をする期間と旅に出る期間を繰り返しながら生活していました。
他にもプログラマーや、フォトグラファーなどスタイルは違うものの、なんか自由だしフットワークがすごく軽いんです。
- 仕事は我慢と苦労を強いられるもの
- 仕事はつまらなくて当たり前
そんな今までの常識とは全く違う働き方がそこにはありました。
だから彼らの話を聞くたびにめちゃくちゃ憧れました。「そんな働き方ができたらどれだけ人生楽しんだろう?」って。
でも僕はこのメルボルンでの生活が終われば日本に戻って、就活をして、組織の一員として働くことになります。
せっかく新しい可能性に出会えたのに、また以前と同じ道を歩まなくてはいけない。
自分にはそんな現実しかないことが悔しかったですね。
そして僕がオーストラリアを離れる最後の日、仲の良かった日本人の友人に僕が抱えていたモヤモヤを、何となく話したんです。
そうしたら僕のまとまりのない話からでも何かを汲み取ってくれたらしく、
「それなら、ブログでもやってみれば?」
と思いがけない一言が飛び出しました。
彼は自分でビジネスをやっていることもあってWEB業界に詳しく、
- ブログなら特別なスキルがなくても始められること
- WEBを使った働き方が今後の主流になること
- インターネットを使えば場所に縛られない働き方ができること
インターネットを使った働き方について、とても詳しく教えてくれたんです。
「これなら僕にもできるかもしれない..」
まさかメルボルン最後の日にこんな話を聴けるとは思ってもいませんでした。
海外ノマドという働き方に出会い、自分らしい生き方が始まる。
こうして希望の光を手に入れた僕は、帰国後ブログについて死に物狂いで調べまくりました。
それはもう何かに取り憑かれたように。笑
そして帰国後して3ヶ月後にブログを立ち上げて僕の新しい働き方がスタートします。
ただプロフィールにも書きましたが、最初はめちゃくちゃ苦労しました。
もう精神的なストレスからなのか心臓が痛くて呼吸も苦しくなるし、成果が出ずにイライラしたりもしてました。
でも、このまま進めば僕の理想としていた働き方ができると思えば全然乗り越えられたんですよね。
そして7,000円、30,000円、70,000円と収入が増えていき、最終的にはブログで20万円以上の収入を得ることが可能になり、
今ではノマドワーカーを目指す人に対してブログのコンサルティングをしたり、法律関係のWEBメディアに記事を寄稿したりと、仕事の幅も広がってきました。
[sitecard subtitle=関連記事 url= https://nomadavenue55.com/blog-sikumi target=]
このような自分らしい働き方ができるようになったのも、留学中に自分の常識とは異なる働き方や生き方をしている人たちに出会えたおかげです。
だからぜひ、海外では一人でも多くの人と関わりを持って、1つでも多くのことを経験してみてください。
僕はずっとイタリアンレストランでシェフとして働いていたので学歴があるわけでもないし、特別な資格を持っていたわけでもありません。
ただ、
「自分の理想に近づきそうな方に進んでみた。」
それだけなんです。
だからあなたにもきっとできます。
初めて留学を決めたとき、「海外で生活なんてできるかな」とメチャクチャ不安でした。でも怖いながらも一歩足を踏み出してみると、驚くほど素敵な世界が待っていた。
ブログからスタートした「ノマド」という働き方も同じでした。
行動に移せば世界は変わっていくこと、たとえ小さな一歩でも前に進めば自分の理想に近づくこと。
そんなことに気がつけたのも、留学という経験をしたからだと思っています。
留学後は日本に戻って就職したり、現地で仕事を見つけたりと色々な選択があると思いますが、僕のような働き方もあるんだということを一つのモデルケースとして捉えていただけると幸いです。
今後の目標は動画コンテンツ作成とスキルアップ
- VLOG撮影
- Youtubeを使った発信のテコ入れ
- ブログのPV、収益アップ
- スキルアップ
- 今以上に海外に出る
今まではビジネスの土台を作ることに重点を置いていたので、あまり世界を飛び回ることができていませんでした。
だから今後はもう少し軸を海外に向けて発信できればいいかなと持ってます。とりあえず来月はマレーシアに二週間くらい行ってこようかなとぼんやり計画中です。
前から興味があったVLOG撮影もできたらいいな。
あとは、スキルアップ。
僕の専門であるグーグルアドセンスを使ったブログマネタイズはもちろん、
- DRM
- WEBマーケティング
- WEBライティング
スキルをもっと高めて、「発信」のクオリティを高めていきたいです。
僕を選んでくれたクラアントさんに最大限の価値を提供するためにも、スキルアップと成長は必要不可欠です。
というより、コンサルティングをしている立場なのに何も学ばないって失礼でしかないので日々ステップアップですね!
これから留学、ワーホリに行かれる方へ最後のメッセージ
こんなに長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
最後にメッセージを伝えさせてください。
以前インタビューさせていただいた、イスラエル在住で現地のスタートアップで活躍されているズッカさんはこんなことをおっしゃっていました。
もし、日本の環境でちょっと自分に合わなって思うことがあるなら日本でくすぶってるんじゃなくて、ちょっと外に目を向けたら色々あるんだよって。
「外の世界ってめっちゃ広いんだよ〜〜!!」って私は今いろんな人に言ってます。
僕もその通りだと思ってます。
僕は日本で働いていた時、ずっと息苦しさや違和感を感じていました。
サービス残業もしていたし、残業は100時間ほどでしょうか。連休も2日以上とっている人はみたことないような職場でした。(有給なんて話題にすらも上がらないほどです。)
だからなおさら日本を飛び出したかったわけすが、そこには僕の想像通り素晴らしい世界が待っていた。
経済的な理由や仕事を辞めるリスクなどを考えると、その一歩を踏み出せないのもわかります。(僕はサクッと決めてしまった方ですが…)
でも人って自分の枠を超えた行動をしないと人生って動き出しません。
だから少し厳しい言い方になってしまいますが「仕事が…」とか「時間に余裕ができたら…」などと理由をつけていてはいつまでたっても海外に行くことはできません。
もしシェフをしていた時に、「いつか行きたい…」「今はまだいいかな?」などと言っていたら間違いなく後悔していました。
だからあの時、勇気を出して留学という選択をした自分を褒めてあげたいですね。
- 時間
- お金
- 仕事
全ての準備が整うことなんてほとんどありえないわけだから、どこかで決断するしかないんです。
- 海外で生活してみたい
- 海外に行ってみたい
- 日本がどこか合わないと感じる
もしそう思っているのであればいますぐに動き出してください。できる範囲でも全然いいので、とにかく動きましょう!
- 英語の勉強を始めてみる
- 留学先について調べてる
- 渡航するため必要な金額を計算してみる
できることはたくさんありますからね。
そして海外で生活をするのであればぜひ「発信」してみてください。ブログで文章を書くことが難しければ、ツイッターでもインスタでもいい。
自分の経験や体験談、現地の最新情報って必ず誰かの役にたちます。
そして自分の海外経験をコンテンツとして残しておくことで一生の思い出にもなります。
それだけじゃなくて僕のようにシゴトに結びつく可能性だったありますし、そもそも今ってWEBメディアの運営経験って立派なスキルになる時代ですからね。
「発信力」を高めておくこってプラスにしかなりませんから「やらない理由」がありません。興味がある方は発このブログでもお伝えしているのでぜひ見てみてくださいね。
というわけで最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた、世界のどこかでお会いしましょう。
See ya!!
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